阿波忌部 講演会は終了しました

ご参加いただきました皆様 ありがとうございました

 

2013年5月18日 講演会の前に 忌部・三浦調査ツアーをしました

その様子を少しづつUPしていきますので

ぜひ ご覧くださいませ

 

忌部・三浦調査ツアー報告

 

阿波むすびネットワーク 繋がってきましょう

また 林さんの講演会は企画させていただく予定です 

お楽しみに♪

Jasmine Bodyworks Presents

 

特別講演:林 博章

麻を植え関東を拓いた 阿波忌部の足跡

 

おおあさ自由學校 第3回 2013年5月18日 土曜 特別講演(一般参加 可能です)
会場:逗子文化ぷらざ さざなみホール 18:30会場 19時開演
 
*林博章 阿波歴史民族研究会 会長
 主著:「倭国創生と阿波忌部」
   「日本の建国と阿波忌部~麻植郡の足跡と共に~」
   「オオゲツヒメと倭国創生」
チケットはこちら ショッピングサイトより お買い求めいただけます
        長谷 麻心

三浦・忌部の足跡:参考

逗子 池子遺跡

逗子 桜山 前方後円墳

横須賀 吉井 安房口神社

葉山 杉山神社

城ケ島 安房崎 洲の御前

など

おおあさトークショー 忌部氏と江戸文化

講 師:林博章  ゲスト:中谷比佐子


日時:5月19日(日)

講演会;13:30~   懇親会;15:30~

会場:渋谷 カナエル http://canaeru.jp/wp/

講演参加費:4000円  懇親会参加費:2000円

 

ご予約はショッピングサイトからご注文ください 

ご予約となりますのでお支払いは当日お願いします

 

都内で開催される30名定員のセミナーです。

まだ若干の余裕がありますので参加者を募集いたします。

定員に達した時点で締め切らせていただきますので、お早目にお申込みください。

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忌部氏は三浦半島や房総半島を経て、関東地方へと文化を伝搬しました。

江戸文化の中にも忌部文化の影響が見られます。

例えば、年末に行われる「酉の市」で有名な、台東区千束の鷲神社は忌部氏ゆかりの神社であり、忌部氏が信仰する天日鷲(あまのひわし)が祀られています。

http://www.otorisama.or.jp/

また、隣接する長国寺も忌部氏とのゆかりの深い寺院です。

http://otorisama.jp/otorisama/otorisama01.html

このセミナーでは、阿波忌部と関東地方との関わりについてお話しするとともに、着物ジャーナリストの中谷比佐子さんをゲストにお迎えして、忌部氏と江戸文化の関わりなどを楽しいトークでお送りします。

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中谷比佐子先生 経歴

きものジャーナリスト。光文社・週刊「女性自身」「二人自身」の編集記者と経て、(株)秋櫻舎(こすもすしゃ)を設立。

きものを切り口にして、日本の文化、日本人の考え方の基本を学び、その伝承に努めている。

 

黒潮は一本の麻糸で結ばれている 

 神と日本人を麻で繋ぐ氏族、阿波忌部

 

忌部氏って何?

忌部氏とは、古代大和朝廷の祭祀や祭具作製・宮殿造営を担った氏族です。その中でも麻と関わりの深い一族が、阿波忌部氏です。彼らは、全国に麻を植えて、大和文化を伝播していきました。

 

なぜ、忌部氏は麻と関わりが深いの?

本来、祭祀や祭具には麻は無くてはならない植物です。例えば、お払いの際に神主が振る幣(ぬさ)や注連縄、鈴縄や装束も、本来は大麻草を使用します。また、麻は繊維や食料や燃料とても大変有用な植物です。彼らは麻の栽培を行うことで、各地に豊かな文化を伝えていきました。

 

阿波忌部氏と天皇家の関係は?

阿波忌部氏は、天皇即位の礼である大嘗祭で使用する麻布を古くから献上してきました。そのしきたりは、平成の大嘗祭でも行なわれています。阿波忌部は、神と天皇家と日本人を麻で繋ぐ氏族だったのです。

 

忌部氏ゆかりの共通の地名って何?

忌部氏は四国の徳島・阿波を拠点に、黒潮を利用して海洋ルートで紀伊半島、伊豆半島、三浦半島、房総半島などに上陸し、広く文化圏を広げていきました。そのため、「勝浦」「白浜」などの多くの共通の地名が残されています。また、千葉は安房とも呼ばれ、四国の阿波と共通しています。

 

三浦半島と忌部氏はなぜ縁があるの?

忌部氏は房総半島から関東へ進出する前に、三浦半島を拠点としました。三浦半島には、港となる入り江が多く、造船や補修に必要な杉や湧き水が豊富だったからです。

三浦半島は、古代から西と東の文化を結ぶ、重要な地域だったのです。また、忌部氏が三浦から房総へと渡った痕跡として、双方に縁の深い神社も残されています。

 



「忌部氏と黒潮と三浦半島」

 

●葉山は忌部の重要拠点

葉山や多摩川の西側には杉山神社があり、これが忌部の拠点だったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/杉山神社

また、茅ヶ崎には紀州忌部の大きなコミュニティがありました。その拠点が杉山神社です。杉山神社は海運祈願でも知られる、大杉神社・あんばさま・大杉信仰ともゆかりが深いと思われれます。

http://www.sanjin.jp/hibi/index.php?ID=644

これらの信仰の根本には、船の建材としての良質な杉の巨木の存在があります。杉の巨木は単なる建材をこえた、命を運び神とともに現れる宇宙の象徴でもあったのでしょう。

杉山神社は葉山にもあります。三浦半島は、忌部が千葉へ渡る前に移り住んだ重要拠点です。忌部氏が房総半島に上陸した地点に建立されている洲崎神社と対である横須賀の安房口神社や、その他の忌部ゆかりの神社や古墳も出土しています。

 

●葉山とは杉山のこと?

そして、なにより驚くのは、葉山の語源の一説です。

杉山の「スギ」は「すぐ、すぐに」という意味で、空間でいうと「まっすぐ」など直線的であり、時間でいうと「すぐ=はやい」「スギ=ハヤ」という意味らしい。

つまり、「はやま」とは「はややま」であり「すぎやま」となる。「はやま=はややま」は、スギが沢山ある山を意味していたことになります。

おそらく、忌部氏たちは、葉山一体の山からも良質な杉を切り出し、船をつくり、三浦半島から房総半島や神津や大島などの伊豆七島や鹿島灘を目指して船出して行ったのだろうと推測されます。

今回の林さんの話のなかで、そんなことも聴けたら最高ですね。

 

●忌部氏と茅ヶ崎

茅ヶ崎一帯は忌部氏の勢力が強く、武蔵国府の支配外である小国を形成していました。

その拠点として杉山神社があったのではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/杉山神社

鶴見川水系や多摩川西岸に多く見られる杉山神社は、忌部氏のネットワークの中継点として機能していたと考えられます。

その政治的な拠点が茅ヶ崎にあったのでしょう。

 

●忌部氏と鉄文化と寒川神社

一方、茅ヶ崎から内陸に入ったところに寒川神社があります。

http://www.genbu.net/data/sagami/samukawa_title.htm

https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl

「サムカワ」の「サム」は鉄のことを表しています。「サム」以外にも「サヒ」「サビ」「サナ」「サヌ」「サニ」「シノ」「シナ」なども鉄です。韓国の首都「ソウル」もこれが語源になっています。ちなみに同じく製鉄を行なう集団である多々良は「タタラ」であり、大陸では「タタール」「ダッタン」でもあります。これは騎馬民族の系譜であり、オリエントの西の終点にあるトルコという地名もタタラと同源です。

 

●血縁ではなく技術でつながっている忌部氏

実は、忌部氏は血縁ではなく技術者集団(テクノクラート)なのだと林氏は言います。つまり、様々な部族や渡来人が合流していきながら、忌部を形成していったと考えられます。

つまり、忌部の一員として同行した鍛冶集団は、茅ヶ崎の海岸の砂浜から砂鉄を取り出して製鉄をしていたのでしょう。

http://rekisisuki.exblog.jp/19528766

筆者によると、ここ一帯の砂鉄は質がよく製鉄に適している記憶しています。一方、千葉の外房の砂浜などにはチタンが含まれているため、古代の製鉄には適さないということでした。

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020603.htm

 

●寒川の源は讃岐の国

さて、寒川の大元は、讃岐国(香川県)寒川にあるといわれています。「続日本紀」には讃岐国に住む百済からの渡来の鍛冶師集団である韓鍛冶師部が集団で移住し、神奈川の地に寒川を形成したとの記述があります。そして、讃岐には讃岐忌部氏がいます。

 

●海の文化とはまおり

茅ヶ崎では、神輿を担いで海に入る浜降祭が行なわれます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/浜降祭

祭りの起源は諸説ありますが、いずれにせよ祭りの根源には、海の力を借りた再生であり生まれ変りであることには違いはありません。

これは、折口信夫氏が提示した「まれびと」信仰の強い現われであるということもできます。

 

●麻と日本文化

日本人と麻の実や麻との付き合いは古い。縄文や蝦夷なども再度見つめる必要がありますね。そんな意味でも、忌部の関東への進出はその糸口になります。

 

●古代忌部氏が繋ぐ、三浦半島と房総半島

房総半島の洲崎神社の岩と対になっているのが、対岸の三浦半島の横須賀にある安房口神社です。

http://www.sunosaki.info/

http://blogs.yahoo.co.jp/sgkbf219/62719360.html

http://kanoujinja.p1.bindsite.jp/pg1003.html

ここは山の山頂にあって、洲崎神社と対になっているといわれている四角くて穴の開いている岩があります。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/awakuti.html

不思議な岩です。これが御神体となっている。今は木が鬱蒼としているけど、昔はかなり見晴らしが良かった。そして、縄文海進の時期には、久里浜から衣笠あたりまでが深い入り江になっていて、物資を運搬するにも良い運河だったはずです。

それを見渡せる場所に安房口神社があります。つまり、忌部たちは、三浦半島で十分に準備をして、安房へ渡っていったのでしょう。

この地点が重要なベースであり安房への入り口としての「安房口神社」だったのではないかと思うのです。

 

僕はヨットレースなどをやっていますが、伊豆半島方面から房総半島へ向かうとなると、三浦半島があるのは安心します。

良質な港が今も沢山ある。そこに船を修理できる入り江と杉などの材料や山の幸があるのだから、忌部以前の縄文海洋部族たちも拠点にしていたはずです。

三浦でも良質な黒曜石が出土されているようです。神津島などとの関係性も深いのでしょう。

 

長吉秀夫(ノンフィクション作家)

 

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